凧売り

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説明書
江戸の町に木枯らしが吹き始め、お酉さまが賑わう頃、お正月の風物詩、凧が売りに出されます。 奴凧、鳶凧、扇凧、三番曳凧など種類も多く色も刷りもきれいなものでした。
子供達が遊ぶ1枚張りの小さな凧が当時十文。お蕎麦一杯とほぼ同じ値段でした。凧は江戸の男の子にとって正月一番の遊びで、大名の若君には凧部屋という置き場所があったほどです。
あちこちの空き地や川の土手に子供達が集まり、凧の上げ比べをして競い合いました。今でも東京のあちこちには冨士見町、富士見坂という名がたくさん残っていますが、当時の江戸はちょっと広い通りから富士山が見え、一幅の絵のようにのどかな風景が栗色げられました。
凧は売る時期が短いので、町には二、三丁のうちに何軒もの凧売りが店を広げ、威勢のいい掛け声で子供達を集めました。
凧の卸問屋は七軒あり、伊勢屋半兵衛の凧は良く上がり、上製でした。
お正月を告げる凧売りが、いなせな雰囲気一杯のお人形です。
藍染の小紋にえび茶の頭巾の配色の良さが江戸情緒をしのばせます。


左の凧の金粉が取れそうなので、ボンドを薄めて霧吹きでかけました。和紙に書かれたお顔が滲みそうなので 慌てて拭いたりしてやっと完成です。
江戸の町の賑わいが説明書でいっそうよくわかります^^

残すところ”江戸商いシリーズ”、あと一作です。

# by miistitch | 2017-07-25 10:58 | 木目込み人形 | Comments(2)

唐人飴売り

”唐人飴売り” できました。
このシリーズで一番心惹かれたのがこのお人形です。
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説明書が面白いので 記します。
「唐のナァ唐人の寝言にはアンナンコンナンおんなか、たいしかはえらくりうたい。
こまつはかんけのナァ、スラスキへン(中略)かわようそこじゃいナァバァバァ、パァパァ」
こんな訳のわからない歌を唄いながら唐人飴売りがやって来ると、子供たちはお小遣いをもらって走ってきます。なかには、どうも見たことのない子供が混じっていて、そんな子は、身振り手振りの面白さに夢中になって飴売りの後をついてきているのでしょう。
当時の飴売りは、唐人飴だけでなく、面白おかしくふしをつけた唄や、手振りをして往来を歩いて売っていました。それでも、唐人飴だけは特に奇妙な服装なので、大人まで振り返って見るほどでした。更紗でこしらえた唐人服に、大きな唐人笠をかぶり沓まで踏いて、チャルメラを吹くのですから話題になるのも当然です。
この頃は、砂糖は貴重品で、お菓子類はあまり甘くありませんでした。ですから、甘いものに目がない若い娘さんたちも飴は大好物で、妹や弟に買ってあげるついでに自分の分も沢山買い込む姿がよく見られました。
江戸っ子は新しいもの好きで、落語のひょっとこそばにあるようの「どこそこに新しいそばができたよ」と聞くと、とにかく先を競って食べてくる。といった気質でしたから、飴売りも少しくらい奇抜な服装をしなければ子供たちにアピールすることができなかったかもしれません。
遠い異国のエキゾチックな雰囲気に目を輝かせて見ている子供たちの姿は、珍しいものに好奇心を持つ現代っ子と同じような心なのでしょう。、、、。

ちょっと変色美味の襟布も、シミを避けつつ木目込みました。
他の布との調和を考えると、キットのままのが合います。
夜に木目込んだ 黒布の足のシワはご愛嬌ということでちょっとごまかしてます。
夫に完成品を見せると細々細部まで見られるのですが、奇抜な出で立ちにごまかされて何も申さず、「今までで一番面白い」とのたまわれて くれました。(^^)//
私も、これと、落としそびれた”水芸人のお人形”がいいなぁと思ってます。
逃した魚は大きいです。

# by miistitch | 2017-07-17 00:19 | 木目込み人形 | Comments(2)

白酒売り

今度は”白酒売り”です。
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先日 義理の妹が白酒を作って持ってきてくれました。
麹菌がお店にあるそうで、私も昔を思い出して作りたいと思いました。
母がよく掘り炬燵に一晩入れて冬の寒い時期に作ってくれましたが、江戸の町でも冬に一番多く出ていたが、一年中売っているお店もあったようです。
白酒は、今とほぼ同じ方法で造られていたようです。
艶やかな着物と、当時、娘の物売りが少なかったことから、お客もたくさん入ったそうです。
子供は「白酒いらんかネェ〜」という売声に誘われて、ちょっと大人の味の”白酒”を買ってもらい、男の人たちも、白米と米麹にアルコールやみりんなどを多めに入れた”白酒”を、結構楽しんだそうです。

ちょっと派手目の着物に白酒と書いた前掛け(まだ書いてませんが、、、)浅葱色の頭巾の乙女な売り子が完成しました。

あと数点 、このシリーズは初代真多呂の作品、と書いてあったので俄然やる気が増しています!
刺繍はどうしたの?ですが、意のままに、このまま突き進みます。


# by miistitch | 2017-07-13 13:43 | 木目込み人形 | Comments(4)

人形師

”江戸商い”の”人形師” できました。

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地味な衣装ですが前掛けが利いています。
人形に胡粉(こふん)を塗っている人形師は人形の木目込みをしている私に通じるものがあって、思い入れの強い作品になりました。
このシリーズは、子供のお顔ですが、小物がいい味を出しています。

説明書
髪をすいたり、衣装を着せ替えたり、女の子にとってお人形は、今も昔も変わらない大切な宝物です。
遊び堂宇の少なかった時代ですから、今とは比べ物にならないほどお人形を大切にし、お嫁色のとこに推さんし頃遊び親しんだお人形を、お輿入れ道具として持って行ったほどでした。
江戸時代は商業も工業もグンと発達した時代でしたから、お人形作りも大変盛んになりました。
今戸焼のように大量に作られた小さなお人形から豪勢な衣装をつけた風俗人形まで、様々な人形を創る人形師たちがたくさんいました。それまでは一部の人々しか飾れなかったお雛様や五月人行も、一般の人々や商家でも飾れるようになったのも、この当時からです。
女の子に人気のあったのは、髪をおかっぱにした抱き人形で、(やまと人形)と呼ばれたものでした。着せ替えもでき、それぞれ自分の好きな名前をつけて、小さなお母さんぶりを発揮しては、周りの人々の笑いを誘っていたのでしょう。また、年頃の娘さんたちの憧れの的だったのが本物そっくりの髪形に櫛やこうがいを差し、豪華な衣装をつけた衣装人形でした。このp頃、すでに、お人形用の生地が織られ、染めもお人形に合わせた小さな柄のものが作られていました。
このような世相を背景に人形師の中には注文を受けて一体一体創る職人気質の者も多くいて互いに競争しあって、お人形に工夫を凝らしました。そのため評判の高い人形師のところへは注文が殺到し、捌ききれないほどでした。また、大家のお抱えの人形師もいるなど、江戸文化の爛熟は、このようにお人形にも大きな影響を与えました。

油の高かった時代ですから、朝早くから日が暮れるまで胡粉を塗った頭に筆を入れている姿が絵草紙にも残っています。
当時の人形師そのままに「さあ、どんな口元にしようか」と考えているような目ざしにも江戸の職人気質が感じられるようです。


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# by miistitch | 2017-07-07 08:37 | 木目込み人形 | Comments(2)

 木目込み人形 ”金魚売り”

”江戸商い”シリーズ より”金魚売り”
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説明書が詳細で面白いです。

「めだかァ〜」「金魚ゥ〜」と金魚売りの声が聞こえるようになると江戸の町は、いよいよ本格的な夏をむえます。
お母さんにねだって、金魚売りから小さな和金を二匹ばかり丸いガラスに入れてもらうと、もう子供たちは大はしゃぎ、猫が来ないように高いところに置いて、半日も飽きずに眺めています。
それでも誰かが誘いに来ると昼寝もせずに外に飛びだしてしまう。
急に静かになった家の中では、今度は井戸端会議です。
すだれの中に入って風鈴の声を聞きながら、ひらひら泳ぐ赤い金魚を種に夕餉のしたくまでのんびりとお喋り、、、、。
金魚が一般庶民や商家で飼えるようになったのは江戸時代も前期、四大将軍家綱の時代になってからでした。
当時の金魚売りは、売声からもわかるように、金魚だけではなくメダカ 緋ゴイ、フナも売っていました。
お馴染のガラスの金魚鉢がたくさん売られるようになったのも丁度この頃からです。
その涼し気な姿は浮世絵にも見られます。
京都や大阪では白木綿の手甲、きゃはんでしたが、江戸は別に決まっていませんでした。
お人形は威勢のいいねじり鉢巻に半てんの若者。
天秤の金魚も実にユーモラスです。

今の東京とは全く違う時間が流れています^^
鉢巻はもうちょっとイキに締め直さないと感じが出ませんね。
これも30年以上前の真多呂人形の材料です。
私が木目込み人形を始める前の材料を又、シリーズで手に入れたので、これからゆっくりと楽しみたいと思います♪

# by miistitch | 2017-07-03 09:26 | 木目込み人形 | Comments(2)