カテゴリ:木目込み人形( 77 )

能 ”望月”

能 ”望月” 完成しました。
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「望月」は仇討物語をテーマにした、宴での獅子舞の場面をとらえたものですが、上衣を頭に覆うようにして、欄干に足をかけるかたちで、全体のバランスをまとめあげるのにむずかしく、またそれだけの動きのある人形づくりの楽しさもありました。(真多呂季刊誌「麗」より)

動きのある人形の袴の布の木目込みがむずかしく、ちょっと汗をかきました。
獅子の口を2枚の扇で表現していますが、頭と一緒に収めるのに、仕上げの段階になって入らなくて着物を外して頭の位置を下げやり直したり、なかなか難しかったです。


「名古屋 春栄会 より」あらすじ
信濃の国(長野県)の住人で安田の荘司友春の家臣、小沢の刑部友房は、所用があって都にいる間に、主人の友春が望月秋長と口論の末殺害されたことを聞き、直ちに帰国の途についたものの、自らの命も狙われていることを耳にしたのため、帰国もできず、近江国(滋賀県)の守山の宿で甲屋という旅館を設けて暮らしていた。また、友春の妻は、夫の討たれた後は寄るべもなかったので、一子花若の手を引いて都に上ろうと故郷を出で、守山の宿にたどりつき、甲屋に泊まることになった。こうして主従は奇しくも再会し、涙を流して喜びあった。そこに計らずも敵の望月秋長が、そうとも知らないで、都から故郷に下る途中で甲屋に宿を取ることになった。その夜、旅の徒然をなぐさめると称し、友治の妻は盲御前として謡を謡い、花若は鞨鼓を打ち、自らも獅子舞を舞いて興を添え、望月の油断するところを、敵を討って、めでたく本望をとげた。

「信濃の国(長野県)の住人」という文言にも惹かれこのお人形を手にしました。
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by miistitch | 2017-09-08 08:55 | 木目込み人形 | Comments(0)

能 第2作

沖縄の旧盆が昨日終わりました。
9月というのにまだまだ暑い日々です。
例年より1、4℃も高いとか(〜〜)
腰痛をなだめながら、ウークイを済ませました。

次なる木目込み人形の製作を始めています。
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桐の木の収縮のために塗られていた白い粉を落とし ボディを修正するのが一仕事です。
布がボディに無理なく馴染むように、凹みを埋めたり溝の幅を直したり、不自然な襟の幅を直したりします。
伝統的なお能の真多呂のフォルムを崩さないように 大きな修正はしません。
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晒を巻いて木目込みに入って中断していました。
さあ、心機一転頑張りましょう!


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by miistitch | 2017-09-06 06:33 | 木目込み人形 | Comments(2)

能 ”巴”

真多呂2世が、昭和五十二年、2度目に発表した能シリーズから、
”巴” を作りました。
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艶やかさ、優しさを漂わせた武士の姿をした巴御前の亡霊をモデルにした作品です。(真多呂季刊誌「麗」より)

「日本語と日本文化」より引用させてもらいます。
能「巴」は巴御前と木曽義仲の悲しい死に別れを描いた作品で、
主人公の巴は木曽義仲の愛妾として、義仲と最後まで行動をともにし、一緒に討ち死にしようとするところを、女だからという理由で、義仲から一人逃げ延びるように諭される。それでも立ち去りかねて、敵の武将と一戦を交えたりするが、最後には義仲の強い言葉に煽られて、ひとり逃げ延びる。

能ではその巴が、義仲をおいてひとり逃げたことの無念さを、戦死の無念さに劣らぬものとして描いている。

作者は不明であるが、平家物語第九巻「木曽最後」に題材をとっていると思われる。巴御前が歴史上の人物として登場するのは、平家物語のこの部分においてだけである。

平家物語は、巴御前について次のように書いている。

「木曽は信濃をいでしより巴、山吹とて二人のびぢよをぐせられたり。山吹はいたはりあつて都にとどまりぬ。なかにも巴は色しろうかみながく、容顔誠に美麗なり。くつきやうの荒馬のりの、あくしよおとし、弓矢うちものとつては、いかなる鬼にも神にもあふといふ、いちにんたうぜんのつはものなり。さればいくさといふときは、さねよきよろひきせ、つよゆみ、大太刀持たせて、いつぱうのたいしやうにむけられけるに、どどのかうみやう、肩をならぶるものなし。さればこんどもおほくのものおちうせ、討たれけるなかに、七騎がうちまでも、巴は討たれざりけり。」

夫によると吉川英治の平家物語では、巴は本妻で木曽の出、山吹は伊那の出伊那乙女だとか。
ちょうどキンドルで読んでいるところで話が合いました。

義仲を渡しはせぬ、エイエイヤー 義仲が無事自害を遂げるまで、、、。
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動きのある たおやかなお姿です。


能面を付けると、急に幽幻な雰囲気が漂います。

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真多呂2世は、舞台でのナマの雰囲気のようなものを出すためと、お人形を作り終わり最後に能面を付ける時、ちょっとした角度の違いで雰囲気が変わるという実際の感じを味わえるように、面を別作りで取り外しができるように考えられたそうです。

 ちょっとドキドキしながら、面を付けてみました。
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昔の真多呂の季刊誌を引っ張り出し、まだ見たこののないお能の世界を表現すべく、ネットで舞台も見て仕上げました。



by miistitch | 2017-08-31 18:05 | 木目込み人形 | Comments(2)

地唄舞 小夜衣 


”小夜衣” 出来上がりました。

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真多呂人形の説明書
秋の情緒を背景に、やるせない我が身の境遇を訴えます。
無駄な動きを省き、象徴的に表現する地唄舞にふさわしく、内面的な奥深さが伝わってくる作品です。

これで、二十五年前に作っておいた”面影”との3作品が、出来上がりました。

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”面影” 真多呂人形の説明書
亡き人の面影を懐かしみ、過ぎし日に思いをはせる、そんな一瞬の「間」を捉えました。
溢れるばかりの追慕の念が、時の流れすら静止させてしまいます。

長いこと眠らせておいて、やっと仕上げることができて、感無量です。
立ち姿、膝を折った姿、座り姿、三様の地唄舞のお人形が出来上がって、
優美な姿に、「やはり真多呂人形はいいな」と改めて思っています。




by miistitch | 2017-08-17 13:58 | 木目込み人形 | Comments(0)

 地唄舞 菊の露

”艶の舞シリーズ”の”菊の舞”を仕上げました。
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菊を眺めながら思うのは、会いに来てくれぬ人のつれない心

真多呂人形のお家元が製作した時のモデルは、武原はんさんと聞いています。
私は昔、武原はんさんの90歳の舞を観る機会があって、とても感銘を受けました。
地唄舞は初めて観たのですが、日本舞踊とは違った趣があって、目の見えない三味線弾きの方の声が今でも耳の底に残っている気がします。
その後このシリーズが再販されたので購入しましたが、修正を手がけてからも、だいぶ月日が経ちました。
以前の修正で溝がとても細くしてあったので、下貼りの晒を入れ、木目込みがやっとやっとでした。
以前の布より再販のこのお品の布は厚かったのに考慮してなかったようです。

木目込み人形の製作まだ続きます、、、。
by miistitch | 2017-08-10 09:46 | 木目込み人形 | Comments(2)

コマ廻し 「江戸商いシリーズ」全6点、完成です。

このシリーズ最後のお人形は、”コマ廻し”です。
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説明書
「さあ、ごろうじろう(ご覧じろ)ッ」と掛け声よろしく、、、
コマは昔からありましたが、最も人気がでたのは江戸元禄年間です。この頃は、四季を通じて子供達の格好の遊び道具になっていました。また、曲ゴマも盛んになり、コマ回しでお客さんを集めて、歯磨き粉や薬を売っていました。

人目をひくように、袴も上着も派手な出で立ちです。
今でいう路上ライブですね。
帽子の布地は張りのない布地で、裏打ちに薄い和紙を使いました。
夫が鉄道模型製作時に使っていたスプレー糊はすうっと満遍なく糊がかかって、布地がピタッと張り付きました。
これは刺繍布のお仕立てに使えそうです。
ひょっとして箱作りにも最適かも、、、。心はいつも刺繍のことを考えています。

という訳で 江戸のお正月風景、2点でした。
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「江戸商いシリーズ」全6点、完成です。
一ヶ月、木目込みに集中していました。
セミが喧しく鳴いています。

玄関脇、棚の中のお人形の入れ替えです。
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by miistitch | 2017-07-28 09:19 | 木目込み人形 | Comments(4)

凧売り

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説明書
江戸の町に木枯らしが吹き始め、お酉さまが賑わう頃、お正月の風物詩、凧が売りに出されます。 奴凧、鳶凧、扇凧、三番曳凧など種類も多く色も刷りもきれいなものでした。
子供達が遊ぶ1枚張りの小さな凧が当時十文。お蕎麦一杯とほぼ同じ値段でした。凧は江戸の男の子にとって正月一番の遊びで、大名の若君には凧部屋という置き場所があったほどです。
あちこちの空き地や川の土手に子供達が集まり、凧の上げ比べをして競い合いました。今でも東京のあちこちには冨士見町、富士見坂という名がたくさん残っていますが、当時の江戸はちょっと広い通りから富士山が見え、一幅の絵のようにのどかな風景が栗色げられました。
凧は売る時期が短いので、町には二、三丁のうちに何軒もの凧売りが店を広げ、威勢のいい掛け声で子供達を集めました。
凧の卸問屋は七軒あり、伊勢屋半兵衛の凧は良く上がり、上製でした。
お正月を告げる凧売りが、いなせな雰囲気一杯のお人形です。
藍染の小紋にえび茶の頭巾の配色の良さが江戸情緒をしのばせます。


左の凧の金粉が取れそうなので、ボンドを薄めて霧吹きでかけました。和紙に書かれたお顔が滲みそうなので 慌てて拭いたりしてやっと完成です。
江戸の町の賑わいが説明書でいっそうよくわかります^^

残すところ”江戸商いシリーズ”、あと一作です。

by miistitch | 2017-07-25 10:58 | 木目込み人形 | Comments(2)

唐人飴売り

”唐人飴売り” できました。
このシリーズで一番心惹かれたのがこのお人形です。
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説明書が面白いので 記します。
「唐のナァ唐人の寝言にはアンナンコンナンおんなか、たいしかはえらくりうたい。
こまつはかんけのナァ、スラスキへン(中略)かわようそこじゃいナァバァバァ、パァパァ」
こんな訳のわからない歌を唄いながら唐人飴売りがやって来ると、子供たちはお小遣いをもらって走ってきます。なかには、どうも見たことのない子供が混じっていて、そんな子は、身振り手振りの面白さに夢中になって飴売りの後をついてきているのでしょう。
当時の飴売りは、唐人飴だけでなく、面白おかしくふしをつけた唄や、手振りをして往来を歩いて売っていました。それでも、唐人飴だけは特に奇妙な服装なので、大人まで振り返って見るほどでした。更紗でこしらえた唐人服に、大きな唐人笠をかぶり沓まで踏いて、チャルメラを吹くのですから話題になるのも当然です。
この頃は、砂糖は貴重品で、お菓子類はあまり甘くありませんでした。ですから、甘いものに目がない若い娘さんたちも飴は大好物で、妹や弟に買ってあげるついでに自分の分も沢山買い込む姿がよく見られました。
江戸っ子は新しいもの好きで、落語のひょっとこそばにあるようの「どこそこに新しいそばができたよ」と聞くと、とにかく先を競って食べてくる。といった気質でしたから、飴売りも少しくらい奇抜な服装をしなければ子供たちにアピールすることができなかったかもしれません。
遠い異国のエキゾチックな雰囲気に目を輝かせて見ている子供たちの姿は、珍しいものに好奇心を持つ現代っ子と同じような心なのでしょう。、、、。

ちょっと変色美味の襟布も、シミを避けつつ木目込みました。
他の布との調和を考えると、キットのままのが合います。
夜に木目込んだ 黒布の足のシワはご愛嬌ということでちょっとごまかしてます。
夫に完成品を見せると細々細部まで見られるのですが、奇抜な出で立ちにごまかされて何も申さず、「今までで一番面白い」とのたまわれて くれました。(^^)//
私も、これと、落としそびれた”水芸人のお人形”がいいなぁと思ってます。
逃した魚は大きいです。

by miistitch | 2017-07-17 00:19 | 木目込み人形 | Comments(2)

白酒売り

今度は”白酒売り”です。
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先日 義理の妹が白酒を作って持ってきてくれました。
麹菌がお店にあるそうで、私も昔を思い出して作りたいと思いました。
母がよく掘り炬燵に一晩入れて冬の寒い時期に作ってくれましたが、江戸の町でも冬に一番多く出ていたが、一年中売っているお店もあったようです。
白酒は、今とほぼ同じ方法で造られていたようです。
艶やかな着物と、当時、娘の物売りが少なかったことから、お客もたくさん入ったそうです。
子供は「白酒いらんかネェ〜」という売声に誘われて、ちょっと大人の味の”白酒”を買ってもらい、男の人たちも、白米と米麹にアルコールやみりんなどを多めに入れた”白酒”を、結構楽しんだそうです。

ちょっと派手目の着物に白酒と書いた前掛け(まだ書いてませんが、、、)浅葱色の頭巾の乙女な売り子が完成しました。

あと数点 、このシリーズは初代真多呂の作品、と書いてあったので俄然やる気が増しています!
刺繍はどうしたの?ですが、意のままに、このまま突き進みます。


by miistitch | 2017-07-13 13:43 | 木目込み人形 | Comments(4)

人形師

”江戸商い”の”人形師” できました。

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地味な衣装ですが前掛けが利いています。
人形に胡粉(こふん)を塗っている人形師は人形の木目込みをしている私に通じるものがあって、思い入れの強い作品になりました。
このシリーズは、子供のお顔ですが、小物がいい味を出しています。

説明書
髪をすいたり、衣装を着せ替えたり、女の子にとってお人形は、今も昔も変わらない大切な宝物です。
遊び堂宇の少なかった時代ですから、今とは比べ物にならないほどお人形を大切にし、お嫁色のとこに推さんし頃遊び親しんだお人形を、お輿入れ道具として持って行ったほどでした。
江戸時代は商業も工業もグンと発達した時代でしたから、お人形作りも大変盛んになりました。
今戸焼のように大量に作られた小さなお人形から豪勢な衣装をつけた風俗人形まで、様々な人形を創る人形師たちがたくさんいました。それまでは一部の人々しか飾れなかったお雛様や五月人行も、一般の人々や商家でも飾れるようになったのも、この当時からです。
女の子に人気のあったのは、髪をおかっぱにした抱き人形で、(やまと人形)と呼ばれたものでした。着せ替えもでき、それぞれ自分の好きな名前をつけて、小さなお母さんぶりを発揮しては、周りの人々の笑いを誘っていたのでしょう。また、年頃の娘さんたちの憧れの的だったのが本物そっくりの髪形に櫛やこうがいを差し、豪華な衣装をつけた衣装人形でした。このp頃、すでに、お人形用の生地が織られ、染めもお人形に合わせた小さな柄のものが作られていました。
このような世相を背景に人形師の中には注文を受けて一体一体創る職人気質の者も多くいて互いに競争しあって、お人形に工夫を凝らしました。そのため評判の高い人形師のところへは注文が殺到し、捌ききれないほどでした。また、大家のお抱えの人形師もいるなど、江戸文化の爛熟は、このようにお人形にも大きな影響を与えました。

油の高かった時代ですから、朝早くから日が暮れるまで胡粉を塗った頭に筆を入れている姿が絵草紙にも残っています。
当時の人形師そのままに「さあ、どんな口元にしようか」と考えているような目ざしにも江戸の職人気質が感じられるようです。


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by miistitch | 2017-07-07 08:37 | 木目込み人形 | Comments(2)